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脱力、失望、理解が少し。
來逢寿___ここでのRn、の中にあるのはそんな感情だった。
何度祈っただろうか、変化が訪れたらと。しかし今日も彼女に訪れるのは追い風ではなく、じんわりと停滞する潮風であるので、そうして彼女はまた死んだように生きている。
昨晩は久しぶりに期待した。命を張ったゲームで、あの人が私を殺してくれるかもしれない、変えてくれるのかもと。しかしまた神は私に笑う。
「……結局同じ人のまま。」
最上階、デッキの手すりに体を預けて明るくなっていく空を眺める。立冬をむかえた早朝の風は冷たい。ぴゅうとひとつ、向かい風が吹いた。ああ今日こそは、なにか変わったことが起こるといいな。
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「おはようございます葵さん、起きていますか」
ひんやりとした空気と、月と太陽のあいだくらいの光、そして扉越しに聞こえる珍しい来客の声に葵は目を覚ます。時間はというと、まだ早朝である。こんな時間になんの用なのだろうと、眠い目を擦り葵はのろのろと扉の方へ向かった。「なんだ…?まだ眠いんだけど…」葵が扉を開けると立っているのは絲言と一色である。
「おはようアリス。朝からごめんね。ちょっと話したいことがあって」
『いいけどなんだ?話したいことって』
「勘解由小路殺しについてです。そろそろ、人も少ないですから。しっかり考えなければならない時が来たんではないかと、一色さんと話していたんですよ」
勘解由小路殺し。このコロシアイのきっかけとなった最初の殺人だが、未だにその犯人は分からない。
犯人を見つけて責めようなどという気は葵には毛頭なかった。彼は犯人にもなにか理由があってのことと信じきっていたのである。彼はあまりにも人おもいだった。
しかし見つけないことにはこの現状は打開できないわけなので、彼は2人に従うことにした。
『わかった!オレも行くよ。じゃあ禍恋のことも起こして……』
「ああ待ってアリス、実は彼ぬきで話したいんだ。だからこんなに早くに来たんだよ。ちょっとね……彼がいると少々都合がよろしくない。じゃ行こうか、続きはラウンジで話そう」
葵は2人に言われるがまま自室を出て、ラウンジへ向かった。途中、となりの禍恋の部屋を見る。早朝4時頃の事だったから、まだ扉は動かないし、きっとこちらに気がつくこともないだろう。
やがて彼らは1つ下の階にあるラウンジへ着く。「適当にかけてください」絲言に言われ葵はふたりと顔をつきあわせた。
すぐに話を切り出したのは絲言である。
「簡潔に話しますが、われわれは禍恋契斗が勘解由小路殺しの犯人だと踏んでいます。__ああそう、一色さんと以前事件について議論を交わしたのです。その時から彼の言動に気をつけるようにしていました。すると怪しい点が次々に現れるではありませんか___
第1に、彼の性質ですが、どうにも彼は他人に答えを吐かせるのを面白がっているように見える。それが、犯人像と一致するのです。だってわざわざ人を殺して、自分を当てさせようとする気狂いが犯人なのですからね。……ああ、ストーカー気質についてはまぁ、今は置いておきましょう。元々ああいう人なのだろうから。
第2に__これが決定的とも言えるのですが、禍恋契斗とRnにはなんらかの繋がりがあるらしいのです。」
『え!?なんだそれ、初耳だぞ!』
「そうなんだよアリス。じつは瞑くんが倉庫で見つけたカメラを、個室のあるフロアに仕掛けていたんだ。昨日からかな?それで夜中に撮れたらしいのがこれ。」
一色が古風なデジカメを何度か操作すると、葵の方へそれを見せてよこした。
それは長いビデオで、途中までは薄明るい廊下がしんと写っており、窓から見える夜空の色が次第に濃くなったり雲が流れたりする程度であったが、一色がそれを少し飛ばすと、その疑惑の正体は明らかになった。
『え……?これ、禍恋とRn……?』
葵がその荒い画面の向こうに見たのは、今となっては見慣れた長身の男と、目隠しの少年とである。
彼らは廊下で1分ほど立ち話をしたあと、なにやらタブレットのようなものを起動させ、何か話しながらそれを操作した。
「これ、よく見てごらんアリス。そのタブレットに映っているものだけどね、ここの監視カメラの映像だよ」
「その通りです。全く、自分たちは人の様子を見ておきながら、自分がこうして隠し撮られているとは微塵も思っていないのでしょうね、全く傲慢な人」
『でも…これがコロシアイの運営側の会議だとは限らないだろ?俺には禍恋が悪い奴には思えないよ』
「まだ彼を庇いますか、つくづく君も絆されたものですね。…いいでしょう、では彼が犯人であると言う根拠について、話し合いましょうか」
絲言はふうと小さくため息をついて、服の襟元を整え座り直す。
「まず初めに、勘解由小路迷悟が殺された日の禍恋契斗の1日の行動について、振り返ってみてください」
『えっと…あの日、俺と照見と禍恋はほとんどの間一緒にいたはずだ。あいつ、トイレですらついてきたから…あいつが1人になった時間なんて無、、、……あ』
「気がついた?アリス。そう、あの執着心しか無いような彼が、自ら1人になって動いた時間があったはずだよね」
「忘れ物をとりにいく」と言った禍恋が向かったのは本当にゲームセンター?
勘解由小路の部屋は最上階。そこでピストル入りのアタッシュケースを、オレと照見と火衣で運んだ。ホールは1つ下の階。禍恋と合流したのはその間の階段だったはずだ。つまりそこで出会うまでの間、禍恋はそれ以下の階を自由に行動できた。つまりそのあと火衣はタバコを吸うと言って1人になった。彼女にも犯行は可能だったはずだが、前回の殺人でそれは間違いだったことが証明された。
勘解由小路があの放送の時、部屋で話した時、生きていたとは限らない。つまり、すでにあの時彼はホールにいた?禍恋に殺されたあとだった?「鍵がかかっているからホールの前まで」なんてわざわざ言ったのはオレたちをホールに入らせないため?本当はあの時、鍵なんてかかっていなくて、中には勘解由小路の死体があった?そうだあの時カジノに言ってみんなで遊ぼうって言い出したのは禍恋だ 今思うとあれは蛇腹に容疑をなすりつけるために、あえてあの時間に全員のアリバイを成立させるため?
葵の顔の血の気がみるみる引いていく。その様子を見て一色はふっと笑うと「ね、わかったでしょアリス」と言った。
「もう一度この事件をまとめるね。まず契斗くんはおそらく、Rnくんと同じく勘解由小路迷悟に雇われた人なのだと思う。それで勘解由小路の指示通り動いたものとしよう。まず勘解由小路はあらかじめ放送の録音と、ドア越しの会話用のボイスレコーダーを用意した。そして録音を指定の時間に流れるようにして、ボイスレコーダーをインターホンのマイクに取り付けて、ホールへ向かったのだろうね。そして待ち合わせていた契斗くんがやってきて、勘解由小路迷悟を殺して蛇腹の仕業に見せかけるため服装の乱れなどを偽装した。勘解由小路迷悟はその時ホールで死んだ。そう、まだ勘解由小路迷悟が生きていると思われていた時間にね。契斗くんはそのあと連夜くんや呼織くんたちと合流して、ホールへ入らせないよう注意しながらカジノへ誘導して‘’見かけの犯行時間‘’に強くん以外の全員にアリバイあるように仕向けた。…これが事件の全貌だね」
一色が首輪の金具をちりちりいじりながら楽しそうに笑う。
「決まりですね。では」
絲言が立ち上がった。懐から出したのは鉛色に光る___そうピストル、ピストルである。
絲言はそれに弾の入っているのを確認すると、それをずいと葵へ押し付け人当たりのいい笑顔をして言った。
「君が禍恋契斗を殺してください」
「………。」
…
「…おはようございます連夜くん…♡もう、起きてたんですね。ふふ…いつもお寝坊さんなのに、珍しいですね」
朝7時ごろになって、禍恋は朝食をお盆にのせ て葵の前に現れた。葵はびくりとする。結局断りきれずに懐に携えたピストルが重くのしかかる。無意識にそれのあるあたりに目が泳いだ。
『あ…ああ、禍恋!おはよ!なんか今日は早くに目が覚めたんだ!』
「そうだったんですね…てっきりぼくに愛想をつかしてどっか行っちゃったんだと思って…焦ったんですから、もう…♡」
禍恋は薄く笑いながら葵の隣の席へ腰掛ける。葵は朝食を用意こそしたものの、全く喉を通らなかった。一向に進まないそれを見て、禍恋が心配そうに葵の顔を覗く。
「…連夜くん、大丈夫ですか?具合…悪いですか?部屋までおんぶして運びましょうか…?…あ、アナタが望むならもちろんお姫様抱っこでもなんでも…♡」
『…あ、ごめん!全然大丈夫!超元気だし!』
葵の空元気はおそらく禍恋には丸わかりではあっただろうが、彼は「…そうですか、それならよかった」と薄ら笑いを浮かべた。
やはり彼は優しい、葵はそう思う。
やはり信じられなかった、禍恋が勘解由小路殺しの犯人だなんて。もしそうだったとしても、きっと彼にも何か事情があったのだろう。葵連夜は信じていた。誰とだって分かり合えるものと。
ああやはり言ってしまおう、そうして話し合いをしたらなんとかなるはずだ。「なあ___」葵が口を開きかけた時、「おはようアリス」__一色が葵の肩を掴んだ。
「ちょっとこっちにきてよ。話したいことがあるから」
彼はそう言って葵の腕をひき食堂を去った。禍恋の青い目がずっとこちらを追って、やがて扉に遮られた。
「なんのつもり?今、計画のことを話そうとしたよね」
『だって__いきなり殺さなくたって、話し合えばきっとなんとかなるだろ!』
「なんとかならないから今僕らはコロシアイなんてしてるんだよアリス。ねえアリスならわかってくれるよね、僕らの考えも。契斗くんを殺せるのは君だけだよ」
それじゃ、引き続き頼むよ。一色はそう言うと黒手袋の手をひらひら振って廊下を去っていった。
それからの時間は__あっという間に過ぎ去った。けっきょく葵にはピストルの引き金を引くことができずに、気がつけば窓の外はすっかりカクテル色だった。
「ねえ見て連夜くん、空がすごく綺麗ですよ…♡ああそうだ、デッキへ行って眺めましょうか…。ふふ、ロマンチックですね…♡」
禍恋は葵の手を引いた。装弾したピストルが重たく揺れる。どうしよう、やっぱり殺すなんて___
「…いいんですよ連夜くん、隠さなくたって」
『え』
「…アナタには見えてないことも、ぼくには見えてるんです。ね、ぼくのこと、殺そうとしていたんでしょう。…いいんですよ、それがアナタの求めた真実__アナタの求めた愛ならば。ぼくはその愛を命をかけて受け止めますよ…♡」
禍恋は笑った。葵の両手をそっと握り、いとしそうにそれに頬擦りをした。
「…ああでも、最後に空を眺めましょうか、その方がロマンチックですね…♡」
禍恋は葵の右手に左手の長く細い指を絡めたまま、デッキへの扉を開ける。びゅうと、夕方の冷たい潮風が流れ込む。鼻腔をつく匂いはしょっぱい。
『え』
そこで見たのは絵画のような風景だった。金色から紫にかけて深く広がるカクテルの空、沈みゆく太陽、それに照らされて影になった手すりの格子。そして___
その向こうに佇む少年の姿である。
待って、Rn_____葵の口からその言葉が出るより先に、彼は倒れるようにして海へ飛び込んだ。ぼちゃん、ぼちゃん、ぼちゃん。海へそれの落ちる音がする。
『大変だよ禍恋…!今ならまだ、助かるかも!探して引き上げよう!』
「……。わかりました、アナタがそう言うなら…。せっかくの愛の告白、お預けですか…もう、ひどいんだから…♡」
下の方の階の窓からなら届くかも、そう思い葵はかけだした。途中に合流した一色と絲言に事情を説明し、彼らはRnを引き上げることができた__しかし
濡れた艶やかな髪、冷たくなって動かない指先、右足の靴はきっと海の底だろう。
時すでに遅しである。
【死亡:Rn】
…
🔎推理開始
それまでコロシアイの進行役を担っていたRnが死んでもなお、推理はそれまで通りに執り行われた。
「やはり少なくとももう1人は‘’あちら側‘’がいるわけだ。ねえ契斗くん?」
「…。」
一色が揶揄うように言ったが、禍恋はそれに目もくれないといった様子でグラスの水を一杯飲んだ。
「始めましょう、推理…。真実を求めることがぼくらの役目ですよ…」
『でも推理って言っても…アイツは自殺だったろ?オレと禍恋の見てる前で、海に飛び込んだんだ。あの時デッキにいたのはオレたちとRnだけだったし、突き落としたりは無理だ』
「それが嘘って可能性はないの?」
「禍恋さんだけならともかく葵さんも見たようですから、一旦ここは信じることにしましょう。」
「ふうん。じゃあ飛び込む直前まで、彼女は生きてたってこと?」
『彼女…?彼じゃなく?』
「ああ…Rnさんは女性だったみたいです…。はい、会話なんかはしてないですし、逆光でよく見えなかったですけど…しっかり自立していましたし、あれが死体だとは思えません…」
「おかしいな。じゃあこの赤い靴を落としたシンデレラは誰なの?」
一色がそう言ってとんと机の上に置いたのは、彼女の履いていた赤い靴の、右足を収めるはずだったものである。
「彼女の右の靴はてっきり海の底へ沈んだものだと思っていたけど…これは船の中の、階段のあたりに落ちていたよ。彼女が自殺なら、これっておかしいよねアリス」
『…?何がおかしいんだ?靴を落としたのが海じゃなくて船の中、ってだけだろ?それだけじゃないのか?』
「ああもうアリス。物分かりが悪いな。そろそろ‘’探偵役‘’をおろしてきてよ。…まあいいや、僕から説明するけど。」
一色は呆れたと言うように首を振り、再び話し始める。
「彼女が自殺だとしたら、当然彼女は自らの足でデッキへ向かったのだろうね。」
『うん、そりゃあ…。』
「じゃあ、その途中靴が脱げたのなら、拾って履き直すくらい造作も無いね」
『そうだな』
「じゃあどうして彼女はそうしなかったんだろう?それはアリスがその時すでに死んでいたから。そうじゃない?」
「なるほど。一理ありますね。しかしそんな重大な証拠を握っていたなら初めから言ってくれたらいいのに。」
「だってそれじゃあつまらないよね。真相行きの切符はここぞと言うときに出すんだ。僕は作家だからね」
笑う一色を横目に絲言はため息をつくと、「それでは」と切り出した。
「Rnさんが他殺だったとして、禍恋さんと葵さんが見た彼女はなんだったのです?いくら死語硬直が進んでいたとしても、十分に人の重みのある死体を支えなく直立させるのは難しいのでは無いですか?」
「はい…ぼくもそう思います。」
『うーん…ちょっと思ったんだけどさ…そのときRnがすでに死んでたとしたら、あれってほんとにRnだったのかな』
葵が呟く。一色がおや、と言うように葵を見、「というと?」と問いかけた。
『だってオレたち、Rnの声も聞いてないし、Rnはこっちに背を向けてたから顔も見てないし、夕日の逆光がすごくて輪郭しか確認してないんだぜ。だったら‘’それがRnじゃない‘’って言われても納得するけどなー…たとえばなんだ。お化けとか?』
「なるほど、やっと探偵になったんだねアリス。まあお化けというのは__いたらつまらなくないけどね。まあ今のところはいないモノとしようか。だけどあれが本物のRnくんでないとしたら可能性はいくらでも浮かぶね。彼女と同じ格好をさせたマネキンや人形だとか__犯人自身の変装だとか。まあ後者はかなり命懸けになるけど」
「ああ…!今、思い出したんですが。海に落ちる音は3回しました…ね、連夜くん。今思うとあれは、‘’デッキから落とされた偽物のRnさん‘’が落ちる音と、‘’どこかから投げ込まれた死んだ本物のRnさん‘’が落ちる音…?いや…でもあと1つは…?」
「ああ、複数落ちる音がしたのですね。だとしたら犯人自身、という線は薄いでしょうね、合流は早かったし、水に濡れている人はいなかった。」
「3回、か。二つはそれだとしてあと1回はなんだろう?アリス、それは聞き間違いではないの?」
『うーん…でも確かに3回音がした気がするな…。あと思ったんだけどさ』
葵がううんと唸りながら天を仰ぎ言った。
『デッキにいたのが人形だったとして、どうやってそれを落としたんだろう…って。それに人形なら、海に浮かぶと思うんだけどそんなのなかったよな…?』
「…あ、重し……。重しをつければ海に浮かばず、沈むんじゃないでしょうか……、ロープかなにかの一端に重しを、もう一端に人形をくくりつけておいて、デッキより下の階でその重しを海に落とせば人形は落ちるし、重しと人形、そして本物とで3回の音が鳴る理由もつきます」
「なるほど。トリックは明かせましたね。問題は誰がこれをやったのか、ですが」
『人形が落ちた時、下の階でそれを落とせるひとがクロになるんだよな?だったらあの時一緒にデッキにいたオレと禍恋は除外として…一色か絲言だよな?』
「そうなるね。残念ながら、僕には犯人じゃないことを証明出来るものはないな。」
「俺もです。どうしましょうか。」
「そうですか……それじゃ、お二人の一日の行動について……話して貰ってもいいですか?」
「わかった。僕は朝は7時には起きて、食堂へ行ったな。食堂で連夜くんと契斗くんに会って、その後はすぐ部屋へ戻った。昼食を取ったあと、暇だったから図書室へいって本を読んでいたよ。あとは廊下が騒がしかったから出ていったら、Rnくんが飛び降りたと伝えられたというところかな。」
「俺は朝7時頃は起きていましたが、お腹は空いていなかったので朝食はとらずずっと部屋にいました。図書室から数冊本を持ってきていたので、ずっと部屋でそれを。…ええ、日中は全く部屋を出ませんでしたね。夕方、さすがにお腹が空いたので食堂へ行こうとしたところ、その騒ぎを聞いた、これで終わりです」
聞いたところおかしな部分はないように思えた。葵は禍恋にたすけを求めるように視線を送る。禍恋は目を合わせ、困ったように眉を寄せて笑った。「そもそもですが」絲言が突然声を上げる。
「禍恋契斗が勘解由小路殺しの犯人なのでしょう。彼を殺せばRnさんを殺した犯人を殺さなくても終わるのでは無いですか?俺か一色さんかの2分の1で賭けるより、禍恋さんを殺した方が確実ですよ。そう思いませんか、葵さん」
「……話を逸らさないでください…。連夜くん、聞かなくていいから…。」
『…。どうしたらいいんだ…?…もう、やめようぜ。クロとか、クロじゃないとか…みんなでちゃんと話し合えばきっと分かり合えるよ。な、そうしようぜ…?』
「話し合っても分かり合えていないでしょう。それが現状ですよ葵さん。さあ、君の持っているピストルで禍恋さんの心臓を撃ち抜いて差し上げたらどうですか」
葵は押し黙る。禍恋をここで殺す気は葵には無かった。しばらくの沈黙。
静寂を破るのは、ひとりの男のゆめみごこちのような声だ。
「……ねえアリス。こんなとき、はじめから…犯人が分かっていたら楽、なのにね?」
一色は心底たのしそうで、どこかうわついた様子である。「そうだな」葵が返すより先に彼は言葉の先を紡ぐ。
「そうだな、写真なんかあったらそれはもう物凄く、助かるんだろうね」
「……また気が狂いましたか?」
絲言が眉をひそめて吐き捨てるように言う。
「……でもそれじゃあきっと、つまらないよね!」
「こんな決定的証拠があったら一瞬で犯人が分かっちゃうからね。だから隠しておいたんだ。今この最も絶望的な瞬間にこれを出したらきっと面白い顔をするんだろうなって、出したけれど。……ああ当たり前でしょ、僕は最初からクロが誰か気づいてたよ。まったく、滑稽だった。いいものを見させてもらったよ瞑くん。やっぱり君は最高のアリスだね」
「……そんな理由で、真実を隠したんですか?」
「酷いなアリス、"そんな理由"だなんて。」
一色は目を細めて薄く笑う。それを禍恋がきっとまぶしい青色で睨んだ。
「まあ何はともあれ、クロはこれで決まりだね。……どうするといいのかな?いつも制裁を加えていたアリスは、瞑くんが殺してしまったようだけれど。」
一色は流し目で絲言を見やった。それまでじっと黙っていた絲言は、「ははは」乾いた笑いを上げ
「……はあ、そうですか。君がどんな理由でそれを隠していたか、どんな気持ちでこの推理を見ていたのか___俺の知ったことではないので、どうでもいいです。喧しい。あと少しだった。葵連夜が禍恋契斗を殺す計画を遂行させてさえいれば___ここは俺が支配できたのに。もう、いいです」
彼は立ち上がる。マントを翻し、飲み物の置いてあるテーブルの前へ歩み寄った。
絲言はそこから、1本のウイスキーを取り出す。
『え……なにしてるんだ?お前……』
葵が声をかけると、絲言はじとっと面倒くさそうな顔をして振り向いた。
「いいでしょう?死ぬ前にもう一杯くらい」
彼はそう言うと蓋を開け、叩きつけるようにそれを床に投げた。コップに注ぐことも水で薄めることも無く、彼はそれを飲み干した。
「あーあ、やっぱクソまず」
飲み干すと、彼は苦い顔をしてその瓶を床に叩きつけた。ガシャンと高い音がして、湿ったガラスが飛び散りきらきら光る。
絲言は笑った。普段の彼からは想像もできないほどに大きな口を開け、嘲笑的に乾いた笑いをあげた。
誰1人としてそれに口を挟むことは出来ぬ勢いを持っていた。彼はテーブルに置いてあるピストルに手を伸ばす。
「後のことはそのない脳みそのカス絞り出して皆さんで考えてください。それじゃさようなら。」
絲言はそう言ってピストルの引き金を自分に向かって弾いた。ドンと1度大きな音がして、彼の体はずるりと力を失った。オレンジのウイスキーのうえに緋色の命、そして透明のガラス。まざりあってとけあうそれらは皮肉にも美しかった。
「…ああ、最期まで飽きなかったな、彼には」
静寂のあと、一色が笑って言った。
そのまま、部屋へ戻って眠るはずだった。そのはずだったんだ。
カチャ
『……え?』
禍恋契斗が一色結斗に銃口を向けるまでは。