0章

男は、息苦しくて狂いそうだと云った。

しかしだからといって、後ろ指を刺されることには憤慨した。男はただ、自分のままでありたいだけだった。最も、あの頃の少年にとってその憤りというのは当然のものであって、しかし、手放せぬままに青春は過ぎ去ってしまったので、彼はこうして今も呪縛から逃れられずに淡々と緋色の日々を浪費するのである。

しかしある時思いついた。最も探偵らしく、彼らの満足のいく方法でこの呪縛を手放してしまう方法を。

最も、死んでもなお探偵であり続ける彼の魂が、報われるものかは分からないが。


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"明白な事実ほど誤解を招きやすいものはないよ"___C・ドイル著    シャーロック・ホームズより


初めに、この謎を解き明かす探偵の諸君に、この言葉を贈ろう。知っているかね?シャーロック・ホームズの言葉だよ。

簡単に手に入る真相など、掴んではならないよ。奥深くをえぐるように覗くのだ。


青き村人Bも、渇愛の首輪も。孤独な無線、白杖の先の答え、論拠の通じない暴漢だって。明日に飲まれた男、火のつかないマッチ、強欲な博打師、生ける屍、箱の中の空想。そのどれもがここでは探偵である。無論、これを読む君もだ。

さあ、探偵よ。どこまでも真実を追い求め続けたまえ。

今宵はお楽しみください、

開演。


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彼は偉大な探偵だ。ずば抜けた洞察力、華麗な推理、その姿はまるでオーケストラを前にした指揮者のようだ。これまで数々の事件に出逢っては解決してきた。齢18にして一生使っても有り余るであろう莫大な富を築き上げ、あまりにも優秀すぎるが故に表舞台から姿を消したと言う。______『マザリンの探偵の伝説』より


マザリンの探偵の伝説。言わずと知れた、有名な話である。

勘解由小路迷悟というひとりの偉大な探偵の遍歴についての言い伝えであり、全盛期から20数年経った今でもなお、その名前を知るものは多い。


その伝説のマザリンという名は、かの有名な小説家  コナン・ドイルの作品であるシャーロック・ホームズの、「マザリンの宝石」という話から取られたものであると言う。というのも、その大きな王冠ダイヤを所有する人物こそが、その勘解由小路迷悟だからだ。


そして今日、勘解由小路迷悟が探偵の彼らを招待した豪華な客船が冠する名は「マザリン号」であった。彼にしか付けられない高貴なその名こそが、この挑戦状を彼のものたらしめる所以だった。


『ううん…やっぱこれ、本物なんだよなあ〜…。本当にオレ宛で合ってる!?これ』


葵連夜は、落ち着いたロココ調の封筒を秋の白昼の涼しげな太陽にかざす。薄水色の、光をたたえた空が眩しい。

役者である自分の元に、探偵として宛てられたその挑戦状に何度も目を疑ったが、いくら眉間に皺を寄せても、そのメッセージカードの端にあるサインは本物の勘解由小路迷悟によるものであった。


人でごった返した港。その多くはおそらく、じきに出航するこの「マザリン号」の野次馬であろう。大きく豪華なその船を見上げ、葵はははあと感嘆のため息をつかざるを得なかったほどである。


そろそろ中へ入ろうか、いやしかしなんとなくそわそわしてしまうような。葵が右往左往していると、突然後ろからぬっと長い影が伸びた。


「アナタ…アナタも探偵ですか?その、それ…持ってるってことは…」

なんとなく姿勢の悪い、随分と背の高い男だった。目の下の隈の目立つ髪の長い人だ。


『わああっ!!?びっくりした…。うーん、まあ、広い意味で的な?お前は探偵か?』

「うん、そうだよ…。ぼくは禍恋契斗です。探偵をしています…。よろしくね…。」


『禍恋な!覚えたぜ!オレ葵連夜!連夜って呼んでくれよな。仲良くしような!』

禍恋契斗と名乗る男はうっそりと目を細め、首を傾け笑った。葵が手を差し出し握手を求めると、その手をじいと見つめ少々戸惑った様子を見せながらも、にこりと微笑み手をそっと握りかえした。ちらと見えた手首には数本の細い線がある。


「よろしく、連夜くん。…ふふ…『カ‘’レン‘’』と『‘’レン‘’ヤ』でお揃いだね…♡」

少し不思議な雰囲気のある人ではあるが、悪い人ではなさそうだ。葵が「そうだな!!」と元気な返事をしたとき、ちょうど後ろから「あのう」と少し暗い女性の声がした。


振り返ると、肩くらいの長さをした髪に、丸い眼鏡をかけた大人しそうな女性がおずおずと立っていた。

「あ…すみません。お話の邪魔をしてしまって。お二人の話が少し聞こえたのです。実は私も、マザリン号に招かれた者で。…よろしければ、ご一緒してもいいかなあ、なんて。その…」


女性はきょろきょろと辺りを見渡す。おおかた、野次馬の目に止まるのは気が引けるから一緒に来て欲しい、と言ったところだろう。


『もちろんいいぜ!お前、名前は?オレは連夜!』

「照見呼織…です。超高校級のオペレーター、と呼ばれています。バイトですが…。」

「呼織さん、よろしく…。ぼくは契斗です。アナタの言う通り、探偵としてここに招かれたんです。いまから、連夜くんと船に乗ろうとしてたとこなんですよ…」

『おうよ!ここで会ったのも何かの縁!てわけで、3人仲良くしてこーぜ!そんじゃ、ゴーゴー!』


葵が禍恋と照見の腕をぐいと引っ張り、軽快に走り出す。「わっ」と拍子抜けした声が後ろから聞こえた。

探偵だのなんだの、難しーことばっかでユーウツ!と思ってたけど、なんだ案外楽しそうじゃん!"焦げ付くほどの青を楽しもうぜ。"


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船の入口へと伸びるスロープの前に立つ、気難しそうな顔をしたクルーに例の招待状を見せると、恭しいお辞儀とともに「どうぞ」と彼らは船へ招き入れられた。


「わあ…!すごい、とっても豪華…」

照見がほうと感嘆の声を上げる。マザリン号の中は外からの見た目に見劣りすることなく、美しくいっさいの隙がない。

ランプのひとつひとつがガラス細工のようにはかなげで、しかしそれでいて煌々としたその光は、黄褐色に廊下の絨毯を照らしている。レトロな洋館を思わせるエントランスには、木彫りの手すりのある階段がぐるりと伸びている。


「また探偵?」小柄な女性が奥の部屋から出てきて、タバコの煙を吐いてとげとげしく言った。


『うん、ま、探偵つってもオレは頭良くないけどな!…感覚派!』

「聞いてないよ別に。聞かなくても、ここにいんのは探偵ばっかだろ、…ったく、理解できない!探偵がこんなに探偵集めて、何させたいわけ?」

女性はひどく呆れた!という様子でタバコをがじがじと噛んだ。


「…探偵、嫌いなんだ…まじ病む…」

「はあ?!なにアンタ!面倒くさっ…もう!分かったよ…。オレは火衣きせる。短い付き合いにはなるだろうけど、一応自己紹介。探偵じゃなくて、ギタリストだけど。」

『火衣か!よろしく!ギタリストか!カッケーじゃん!!!』

「よろしくお願いします。えと…他の人は、いないんですか?」


「ああ、いるよ。まったく、探偵ってのはせっかちしかいないの?ほら、案内してやるから、ついてきて。」

火衣がフンと踵を返し、つかつかと廊下を進む。先程出てきたらしい部屋の扉をうんしょと開け、「ここにいんのはオレの他に4人。」とだけ言うと、「喫煙所に行く。煙たがられてダルいし」とその場を去った。


「まあ、新しいお客サマですか〜。これであと、来ていないのは2人だけになりますね〜」

中性的な容姿をした、青髪に目隠しの少年が立ち上がり3人を出迎える。

「ワタシはRnと呼んでくださいな〜。なんでも屋をしております。以後お見知り置きを。」


「ははぁ〜、こりゃまた若そうな御三方。良いカモになったりして?おっとイカサマはノーセンキューだがね。」

Rnの隣のソファーに深く腰かけて足を組んでいた男が、右手でコインをくるくる弄びながら言う。

「俺は未明喀命。ギャンブラーってやつさ。探偵なんて大層なもんでは無いぜ。」


「ギャンブルをするのは構いませんが、あくまで合法の範囲で。法外なことは、見えないところでお願いします。」

「いやだな俺はかな〜り、善良なギャンブラーなんだが。法外なことは取り締まってんの!俺が!」

人あたりの良さそうな少年が、何処か心のこもっていない声色で言う。未明がそれに不満そうに反論した。


「ああ、申し遅れました。俺は絲言瞑。風紀委員です。」

絲言がにっこり微笑んだが、どこか貼り付けたようなつくりものらしい印象を受けた。


「優秀そうな探偵ばかりだね。いい経験になりそうだ」

一番端のソファに腰掛け、自分のチョーカーを指先で弄りながら、白い花の柄のシャツを着た男が言う。


「うん、なかなか退屈しなさそうな顔が揃ってるね。さっきのちっちゃなレディとか、ハリネズミみたいで面白かったな」

"ちゃっちゃなレディ"とは、先程喫煙所へ向かった火衣の事を指すのだろう。男は依然掴めない態度で、自己紹介をした。

「名前。僕は一色結斗。一色でいいよ」


『Rnに未明に絲言に一色な!オッケー覚えたっ!オレは葵連夜!この2人は禍恋契斗に照見呼織!みんな仲良くしような!みんな友達!』

「ははぁこりゃまた大層な綺麗事だ。別に嫌いじゃあないがね。仲良くしようぜ!」

未明がにやりと笑い握手をする。


「あ…そう、Rnさん、先程"来ていないのはあと2人"と仰っていましたが、何人が招かれているのでしょう?恥ずかしながら、存じ上げていなくて。」

照見が禍恋のうしろに隠れるようにして、おずおずと質問する。「ああそうでした」Rnが思い出したように声を上げた。


「招かれているのは、勘解由小路迷悟サマを除けば10人だそうで。ここにいる4人、そして先程出ていかれましたきせるサマ、アナタ方3人の他に、まだ出会っていないのは2人という次第でございます」

「困りますね。もうすぐ出航の予定時刻ではありませんか。遅い。」


絲言が壁の時計をちらりと見やる。その時、廊下の方から大きな声が聞こえた。

「たのもう!誰かいねえのかぁ?ったく、随分としけた船じゃのう」

「おい、おーい!暴力探偵!聞いてる?そろそろおろして〜」


聞くに、二人の男がいるようである。Rnのいう、あと2人とは彼らのことだろうか。

「うるさいよアンタらっ!もうちょい静かに出来ないの?」

続いて、喫煙所から帰ってきたらしい火衣の怒鳴り声が聞こえた。


「ああまったく、探偵とはみなこうなのですか?厄介で難儀です」

絲言がはあと溜息をつき、つかつかと扉へ歩み寄る。廊下へ出て「声が大きいですよ」と一言言った。


「やあなんじゃい、人がたくさんおるでねえか!やァやァ、こりゃ騒がしくなりそうじゃのう!ガッハッハッ!」

浅黒い肌で、伸びきったTシャツにダボダボのジーパン、サイズの合わないスカジャンを着た屈強な男が荒っぽく笑った。


「まァ、一番騒がしいのはお前だがね」

屈強な男に俵担ぎにされた、妙な仮面を付けた

モノトーンの髪の男が言う。宙ぶらりんになった手には蛇の装飾のついた杖が握られている。

「ときに暴力探偵よ。そろそろ下ろしてくれてもいいのだが?いや、海にドボンしそうになっていたところを助けてくれたのは非常〜に感謝しているけどさ。お前のでかい声1番近くで聞いてると鼓膜逝きそう」


「むう、とんだ不敬物じゃのう。マ、わしゃあ心優しい男じゃけえ許しちゃるわい。ほれ、降りんしゃい」

屈強な男はそう言って仮面の男を床へ下ろす。仮面の男は「感謝!」とにこやかに地面へ降り立つと、手探りで杖を床についた。どうやら、盲目であるらしい。


「やァ、それじゃあ改めて自己紹介を。元超高校級の探究者三井探だ!以後ヨロシク〜」

三井に続いて屈強な男も名乗る。

「わしゃあ蛇腹っつうもんじゃあ。腕っぷしには自信アリ!よろしく頼むぜ兄ちゃんら。」


『ああよろしく!聞いたところさ、お前らで最後らしいんだ。今ここにいるので全員らしい!』

「全員愉快な探偵だよ。風紀委員にギタリスト、果てには暴漢とはね。しっかり挨拶しておくといい。」

「ほほうお前さんは余程肋を折られたいとみた。何本がいい?決めさせてやろう」

蛇腹が"暴漢"と呼ばれたことに腹が立ったのか、一色に向かいポキポキと指を鳴らし始めたので、葵は「まあまあおちつけ!」と間に割って入った。


『そんなことより!これで全員なら、そろそろ主催者の挨拶でもあるんじゃない?ほら、勘解由小路迷悟さんの!』

「迷悟さんの…。ふふ、ぼく、ファンなんだあ…楽しみ。」

「そうですね、カードへはホールへ来るようにと書いていますが…」

照見がカードを見返し言う。「ほら」と近くにいた禍恋と葵に見せてくれた。


「ホール…ひとつ上の階にありますね」

絲言がラウンジのテーブルに置いてあったマップを手に取り言う。

『そんじゃ行ってみよっか!』


ラウンジを出て上の階へ向かう。ホールへの扉は一際豪華で、それでいて上品である。

「ごめんください!」と葵が勢いよく扉を開ける。ホールは白いタイルの敷かれた清廉な部屋で、百合の香りがした。

柱やテーブルのデザインは落ち着いたロココ調で、そのすべてが合わさり完璧なバランスを保っている。


ホールは2階に分かれており、舞踏会で王子様とお姫様が降りてくるような大きな階段が真ん中にずんと佇んでいる。


「やあ、よく来てくれたね」

階段の上から、悠々と、しかしはっきりとした男の声が聞こえた。

「少年少女、御機嫌よう。僕が勘解由小路迷悟だ。このご縁はどうか解かぬように頼むよ」

「少年少女、御機嫌よう。僕が勘解由小路迷悟だ。このご縁はどうか解かぬように頼むよ」


茶色いチェック模様のコート、よく磨かれた茶色い革靴。白い手袋。清廉とした身なりである。

20年前に世間で讃えられ、その後ぱったりと表舞台から消した探偵。皺が少し増え、黒髪は少しばかり白髪が混じったが、よく整えられて美しい。なによりその丸眼鏡の奥の、全ての真実を見透かす夕焼け色の瞳は、あの頃のまま健在であった。


「わ、…本物…!感激です…♡」

禍恋が興奮した様子で頬を赤らめそう溢す。


「長旅だったものもいるだろう。お疲れ様、と言っておこう。そろそろ船が出るから、まあその辺の椅子に自由に腰掛けてくれたまえ。」

勘解由小路は階段をゆっくり降り切ると、真ん中の一際大きい椅子に腰掛ける。

さあ、どうぞと流されるがままに、葵たちは席についた。


「それじゃあ、まずは簡単な挨拶から。君たちはきっと、僕の出した挑戦状を見てここへ来てくれたのだろう。まずはその招集に応じてくれたこと、感謝するよ」

一人一人の顔を見ながら、勘解由小路が堂々と挨拶をする。「かっこいいです…♡」「そうですね、素敵な方」同じテーブルについた禍恋と照見がひそひそ話をする。


最上の謎、偉大なる財。さっきまでのわちゃわちゃで忘れかけていたが、そういえばここにいるのは皆探偵で、謎解きのために来たのだった。

『偉大なる財、って何なんだ?そういや、忘れてたんだけど』

「ああ、嘘。君、それすら知らずに来たクチ?」

「マジか!無欲なヤツだな〜。連夜くん、この船の名前言ってみ?」


『えっとなんだっけ…マザ…まぜ…』

「マザリン、だよ…♡」

耳元で禍恋が囁く。

『ああそうマザリン号!』

「ピンポン!そうなりゃ、話は早いだろう?勘解由小路迷悟といえばと言っても過言じゃないのが、‘’マザリンの宝石‘’なんだから。」


未明がガタッと立ち上がり連夜を指さす。

「うんうん、勘解由小路迷悟からの挑戦状で、‘’偉大なる財‘’って言われたらやっぱそれ!俺もそれに目付けてきたってわけ。…ってまあ、目見えてないけど!」

三井がちょっと的外れな盲目ジョークと共に同意する。もしかしてオレ以外、全員知ってる…!?


「へー…ってなんだよこっち見んな!知らないよそんなこと!こちとら探偵じゃなくてギタリストなの!」

火衣が少し恥ずかしそうに顔を赤くして怒る。「大丈夫オレも初耳!!!」葵が元気よく言うと、火衣が「アンタと同格、なんかヤダ」とそっぽを向いた。


「あのうみなサマ〜、勘解由小路サマを無視しすぎでは?そろそろお話に耳を傾けたほうがよろしいかと」

Rnが横から割って入り言う。「ま、見てる分には楽しいけど会話の相手にはしたくないかもね」一色がひとり涼しげな顔で足を組んでいる。


「ああ、いいんだよ。君たちが楽しそうにしてくれているだけで、本望だとも」

勘解由小路がその威厳ある顔を綻ばせ笑った。

その時である。それまでの平穏な空気を叩き割るのは、野太い男の声だった。


「おい、勘解由小路」

蛇腹だ。やけに苛立った様子で、貧乏ゆすりをしている。


「どうした、蛇腹君?ああ、早く食事がとりたいかな。用意はしてあるから____」

「違う!そういう御託はいらんのじゃあ、早く本題に入らんかい、鬱陶しい!ペラペラ外野にしゃべらせよって、話が進まんのじゃあ!」


「"偉大なる財"を早く寄越せってんだよ!とぼけるな、てめえの持ってるマザリンの宝石だよ!どこに隠している?」

蛇腹がずかずかと歩み寄り、その屈強な腕を振り上げ勘解由小路に掴みかかる。


『ちょ、何して…』

「主催者に手を上げる脳筋の暴漢。ミステリらしくなってきたね」

一色が悪態をつくのを横目に勘解由小路は黙って右手を上げ、蛇腹を制止する。蛇腹は不機嫌そうに手を離した。

「まあ、待っておくれ。本題については明日の夜、ゆっくりやる予定なんだ。すまないね」

勘解由小路は依然落ち着いた態度で言った。


「今夜は落ち着いて、ひとまず晩餐でもどうだい?レストランへ行こうか。豪華なものを用意してあるよ」

勘解由小路が優しく笑い皆へ呼びかける。

「そうしようぜ探偵ども。探偵のお前らなら、わかるだろう?取るべき賢い行動というのが」

三井が焦点の合わない暗い瞳で薄く笑った。「そうだそうだ」と隣で未明が囃し立てる。


「…チッ…。もうええわい、勝手にやっていろ。勘解由小路。オレはお前の、そういう態度が気に食わんのじゃ。聖人君子みたいなツラをしやがって…。」

蛇腹は吐き捨てるようにそう言うと、踵を返しホールを後にした。

「あ…ちょっとアンタ、いい加減に…!」

「やめておいたほうがいいよ。彼、正気じゃないから。君が怪我をしてしまいますよ」

追いかけ止めようとした火衣の腕を、絲言がつかみ引き止める。


「だって…いくらなんでも、サイテーすぎ。悪いヤツじゃないんだから、勘解由小路のことをあんなに悪く言う必要ないじゃん」

「嫌ですね、これだからああいう輩は。おおごとにしないでいただきたいものです」


勘解由小路は怒ること無く、「大丈夫」と一瞥すると、掴まれて皺になったコートをはたいた。

「初日から荒事を起こしてしまって、すまないね。…今日は一度、解散しようか。皆に部屋を用意してあるから、そこでゆっくり過ごしてくれ。船内の探索は自由にしてくれて構わないよ。食事は、後で届けよう」


「明日の夕方にまた集めるよ。それじゃあ、ゆっくりおやすみ」



個室のベッドは驚くほどにふかふかで、船の揺れが揺籠のように心地よく、葵は最近でいちばんよく眠れたかもしれないな、と思った。

軽く伸びをして部屋をでる。隣の部屋からピッタリ時間を合わせたように禍恋が出てくる。


『よ、禍恋。おはよ!ここのベッド、めちゃめちゃよく眠れるな!』

「おはよう、連夜くん…。うん、そうだね…ぼくは、アナタのことで頭がいっぱいで、眠れなかったけど…♡」

『そうか!今日はちゃんと睡眠を取れよ!』


簡単に朝の挨拶を交わしたところ、向かいの部屋から照見の姿が見えた。

照見はこちらに気が付き「おはようございます…」と少し笑って言うと、こちらへ駆け寄ってきた。

「今日は夕方まで時間がありますよね…。よかったら、3人で探検、してみませんか?少しの間ですけど、せっかくこんな豪華なところに来られたんだし…」

『賛成賛成賛成!いやー、昨日はなんか言い出せる雰囲気でもなかったけどさ!実はオレ、めちゃめちゃ探検したくって!だってこんなすんごいとこくるの初めてだし!行こうぜ!』

「やったあ…♡ぼくもついてっていいの?いいよね」

「はい、もちろんです」


3人で船内を探索することになったので、ポケットに突っ込んであったくしゃくしゃのマップを開き、眺めてみる。

「レストラン、ホール、ラウンジにジムにゲームセンター…カジノや図書室もあるみたいです。迷悟さんの部屋だけ、私たちの部屋とは違う作りなんですね。階も違う。」

『へえー!スッゲー!え、どうする?どこから行くよ!?やっぱゲーセンかな!?』

「連夜くんの行きたいところでいいですよ…♡」


3人はゲームセンターに向かうことにした。途中通りかかったカジノの中から、未明と三井、Rnが談笑する声が聞こえる。何かの賭け事をしているらしい。

「ははは!また勝っちまったなあ!そもそも、ギャンブルを生業にしてる奴に賭け事で勝負を挑もうなんてのが間違いだぜ、三井くんよ。」

「ぐぬぬう…だってあれじゃん!俺目見えてないじゃんハンデだハンデ!いくら視覚のいらないゲームでもさあ!」

「他のゲームにいたしますか〜?どんなゲームでも、ディーラーは一通りワタシができますので」


「楽しそうだね…。連夜くんと呼織さんは行っちゃダメですよ、未成年ですから…」

禍恋がゆらりと歩きながら言う。そういえば、禍恋の年齢っていくつなんだ…?葵が不思議そうな顔をしていると、顔にでていたのか「ひみつ…♡」と唇に指を当てた。


ゲームセンターは船の中とは思えないほど充実していた。実際のものよりは少し狭くはあるが、申し分ない広さである。ガチャガチャとしたジャンキーな音が響いている。

『すっげー!!!!あマリカあるよマリカ!3人でやろーぜ!』

「マリカですか?しましょう!アナタがそう言うなら……♡」

「あんまりやったことないんですけど…大丈夫かな」

『大丈夫だって!バーッ!てやってビュン!て走ってブーン!てゴールすればいいんだからさ!』


3人は昨日のいざこざをすっかり忘れてゲームセンターを楽しんだ。一通り遊び終えたので廊下へ出ると、窓の外はすっかりオレンジ色である。

『いやぁ遊んだなー!!すっげー楽しかった!また来ような!今度はみんなでさ!』

「うん、そうしましょう……♡」


その時、船内にアナウンスが流れた。

‘’「こんばんは少年少女。ご機嫌はいかがかな?少し渡したいものがあるから、私の部屋の前に来て欲しい。力仕事だから、数名いると助かるかな。いますこし手を離せなくてね。手を煩わせてしまって申し訳ないが、頼むよ」‘’

そこで放送は途切れた。勘解由小路の声である。おそらく、彼の自室には放送機器が揃っているのだろう。


「あ…どうしましょう、行きますか?」

『そうだな!力仕事、頑張っちゃうぜ〜!禍恋は行くか?』

「あ…ぼく、ちょっとだけ、用があって。すぐ追いかけるので、先に行っててもらっても…いいですか?」

禍恋がぼそぼそと言い、「それじゃ、また後で…」と手をひらひら振って去った。


「2人…じゃ、流石に少ないですよね…力仕事って言っても何かわからないし。」

『んー、そうだよね〜…この船にいるメンツで、自主的に行きそうな人っていないし…困った!』

その時ちょうど、後ろの喫煙室から火衣が顔を覗かせた。「うわ、何やってんだこんなとこで」と少し顔を顰め、タバコの箱をポケットにしまった。

『ちょうどいいところに!!!!!今の放送、聞いたよな!一緒に来てくれないか?』

「はあ〜…?聞いてたけど、面倒だな…」


「お願いします…。だめ、ですか?」

「うっ…わかったって!バカ…」

照見がおずおずと綺麗な紫色の瞳で彼女を見ると、火衣は純粋さには勝てなかったようで、渋々承諾した。


「にしても、なんの用なんだろ。珍しいよね、あの探偵がオレらに頼み事なんて。」

『手が離せないって言ってたよな?なんだろ〜、あ!「最上の謎」の準備とか?今日の夜ゆっくり話すって言ってたよな。』

「そうかもしれませんね。…あ、あそこでしょうか?部屋の前に何かあります」


階を二つほど上がった先で照見が前方を指さした。大きな、深い茶色をした木造りの扉が佇んでおり、その前に何やら重たそうな大きなアタッシュケースが2つ置いてある。

『勘解由小路さん!さっきの放送聞いて3人で来たけど、これどこに持ってくといい?』

葵が扉をノックして中に向かって声をかける。少しの間の後、「来てくれてありがとう」と勘解由小路の声が聞こえた。


「姿も見せずにすまない。その二つのアタッシュケースを、ホールの前に持っていってくれるかな?今は鍵がかかっているはずだから、扉の前の廊下までで構わないよ。よろしく頼む。」

勘解由小路はよほど忙しいのか、それだけ言うとまた部屋の中は沈黙した。

『よーし、行くか!3人でもなんとかなりそうだな!オレが一個持つから、照見と火衣で一個持ってくれるか?』

「はい、わかりました」

アタッシュケースは見た目通りに重かったが、一人でもなんとか運べる重さではあった。照見たちも二人で協力しながら後ろから追ってくる。


「あ…お待たせ。戻りました…♡」

ちょうど階段の踊り場に差し掛かったあたりで、用事を済ませたらしい禍恋と合流する。「ゲーセンに忘れ物をしてしまって」と彼は恥ずかしそうに笑った。

禍恋は照見と火衣の持っていたアタッシュケースを「ぼくがやりますよ」と受け取ると、葵と肩を並べた。


「そーいえばアンタら3人、仲良いよね。ここにくる前から知り合いなの?」

「いえ、そんな…。船に偶然一緒に乗り込んだだけで、初対面ですよ」

火衣がライターをいじりながら徐に聞くと、照見が恥ずかしそうに爪をいじり答えた。

『確かに初対面だったけどー…今はもう、めっちゃ友達だから!な!禍恋!』

「う、うん…えへ…そうですね…♡」


「でも、私、電話でしかちゃんと喋れないし…友達だなんて」

「…」

照見が居心地悪そうに目を泳がせると、火衣がその顔を見上げ黙る。しばらくして、彼女はポケットからボールペンと煙草の空き箱を取り出すと、その乾き切ったインクをガリガリと転がしながら空箱に何か書いた。

「ん」

「…?なんですか?これ」


千切って渡されたその紙に、照見は不思議そうな顔をした。そしてその文字を見るやいなや、ゆっくりとその顔が晴わたる。

「オレのケータイと、ここでの部屋の電話番号。…好きにしたら。電話でなら楽しく喋れるんでしょ」


「…!あ、ありがとうございます…!嬉しい、です。これ、私のです。…きせるさんも、よかったら」

照見がそれをぎゅうと握りしめてあまりに嬉しそうにするので、火衣は照れてしまったのか耳を赤くしてそっぽを向いた。


「…荷物もちは禍恋がきたから、オレはもういいでしょ?煙草吸ってくる!」

言い放つと火衣は廊下を早足に去っていった。刺々しい態度ではあるが、おそらく友達思いのいい人なのだろう。隣で嬉しそうに頬を緩ませる照見を見て、葵はそんなことを思った。


『ふう〜、やっとついた!ほんと、この船やたら広いし構造がわかりにくいな〜…』

ホールの前にどさっとアタッシュケースを置き、葵は手をぷらぷら振った。

「そうだね…。それより、これからどうしましょう…?集められる時間まで、まだ1時間ほどありますけど…あ、カジノに行ってみんなでトランプでも…する?何も賭けなければ、ぼくたちでも行っていいんじゃ無いかな…」

『さんせーさんせー!部屋戻ると暇だし寝過ごしそうだし!カジノなら、未明たちがまだいるんじゃねーか?みんなで遊ぼうぜ!』



カジノへ行くと、蛇腹以外の全員が揃っていた。一色と絲言はゲームには参加せず、様子を眺めているだけではあったが。

未明に、何かゲームを教えて欲しいとの旨を話すと彼は嬉しそうにして「イカサマをしないんなら喜んで!」と葵たちにゲームを教えてくれた。

そのまま1時間少しみんなで遊ぶが、彼らは途中である違和感に気づく。


「…招集のアナウンスがありませんね。もう、随分経つのに」

絲言が呟く。


「確かにそうですね〜、5時ごろにアナウンスをと聞いていましたが、気がつけばもう40分も過ぎてしまいました〜。」

「どうしたんだろうね。事件でも起きたのかな?」

「ちょっと…やめてよ不謹慎!」

涼しい顔で言う一色を、火衣が唇を尖らせて窘める。


「何があったかは知らないけどとりあえず行ってみるのがいいんでない?…ってわけで誰か俺の手引いてって〜!」

三井がそう言って立ち上がり手を空中でぶらぶら振る。「じゃあ、ぼくが。」その手を禍恋がそっと握った。


ホールへ戻ると、先ほど葵たちの運んだアタッシュケースはそのままであった。しかし、

『…鍵、開いてるな』

この一点だけが、違っていた。


「…なんだか、嫌な予感がします…ねえ、行くのをやめませんか」

照見がそばにいた火衣の服の裾を掴み引き止める。しかし、遅かった。


扉を開けた途端、清廉な白百合の香りに混じる鉄臭さ。

「ああ、何が起きてる」

三井がつぶやく。


この演目は、一人の偉大な探偵が死ぬことから始まる。


【死亡:勘解由小路迷悟】



誰のものでもなく叫び声が轟いた。伝染する困惑に葵は呆然とした。

『…っは、ほんとに死んじゃったのか、確かめなきゃ…!まだ、生きてるかも』

「やめときなよ。見てわかるでしょ、死んでるよ」

一色が葵をとめる。その後ろでは禍恋が三井に現場の状況を説明している。


勘解由小路は死んでいた。ナイフで心臓をひとつき。よほどもがき苦しんだのだろう、綺麗に切り揃えられた爪の隙間にまでびっしりと血液が入り込んで固まっていた。犯人と揉み合ったのか、彼のぴんと糊のはっていたシャツやズボンは、皺になり乱れていた。

酸化した赤黒いものが、彼の灰色のシャツにシミをつくっている。閉じた瞼は、少しあいた唇は、ぴくりとも動かなかった。


「一体、誰がこれを…」

照見が震える声で呟く。

「わかりきったことでしょう。考えるまでもない」

絲言が依然として人当たりのいい笑顔のまま、言った。


「蛇腹強です。彼にしか犯行は不可能ですから」


『え…そうなの!?ど、どういうこと?』

「…オレらは4時少し前に、勘解由小路の部屋に荷物を取りに行っただろ。その時、まだアイツは生きてた…その後4時から今までにはみんなカジノで遊んでたっていうアリバイがあんの。…そう、蛇腹以外にはね。これがどういうことを指すか、わかるでしょ」

火衣が死体から少し目を逸らしながら言った。


「なんだ、推理するまでもない事件だったと。よし、アイツを連れてこい!」


蛇腹は案外簡単に着いてきたようで、部屋へ呼びに行った未明と絲言はすぐに戻ってきた。

「なんじゃあ、やっと死によったか、あのじいさんが。」

蛇腹はやたらと上機嫌そうに言う。その飄々とした様子を見て火衣は嫌そうに顔をしかめた。


「アンタがやったの?」

「いいや、ちげえよ火衣のねーちゃん。まア、オレが殺してやりたい気持ちは山々だったがね」

「しかしだね暴力探偵。不幸なことに、今回ばかりは弁解の余地すらないんだよ。なぜなら犯行時刻が限られている上、その間全員にアリバイがあるんだからね」


「はあ?なんのことだか、さっぱり」

「しらばっくれるのもそれくらいで頼みますよ。これはもう確定事項なのです。それに貴方には十分すぎる動機があったはずですからね」

「マザリンの宝石。そうだろう蛇腹くん。勘解由小路迷悟の服装が乱れているのを見たまえ、君が宝石を漁った証拠だろう?」


「どうやら、決まりのようですね〜」

「はん、殺したからなんだって?オレはやっちゃあいねえが、たとえやっていたとしてもこの海の上じゃあ、何にもできねえよ。警察に連絡でもするか?海に投げるか?それとも、殺人鬼だと糾弾してオレを殺すか?」

蛇腹が笑う。ざらざらした舌がちろちろと覗いた。


「それでは、蛇腹強さんが‘’クロ‘’で構いませんね?」


「は?」


彼の石頭にごりと鉛の当たる音がする。誰も声をあげる暇もなく、手を伸ばす隙もなく、そのピストルの引き金は引かれた。発砲音が高い天井の先にまで轟き、白髪の隙間から緋色の花が咲く。白い床にびたびたとそれが飛び散り、蛇腹の巨体は大きな音を立てて倒れた。あっという間のことだった。


『なに、やってんの…?』

思わず出た声は自分でも驚くほどに震えていた。ピストルから出る煙をふうと吹き消した少年の方を見て。


「さあさあ〜、みなサマご注目くださいな〜。‘’チュートリアル‘’お疲れ様でございます。」(スチル


「ここからの進行は‘’コロシアイ進行‘’のご依頼を承りましたワタシ、Rnがいたします」

「は…?何、チュートリアルって。それになんでアンタ、ピストルなんて」

火衣が彼を震える指で指す。

「ああ、アナタの運んだアタッシュケースの中身でございますが」

「え…?私たちの、運んだあれが…?」


「そんなことはどうでもいい。俺は、なぜ君が蛇腹さんを殺したのか、チュートリアルとはなんの話か、と聞いているんですが」

絲言が言うと、「ちゃんとご説明しますので」とRnは話し始める。


「これからみなサマには、‘’勘解由小路迷悟を殺した犯人は誰か?‘’を、推理していただきます〜。タイムリミットはございません〜。これからお配りするピストルや、その他どんな方法を使ってもかまいませんので、その犯人を殺していただく、と言うのがルール。ただし、勘解由小路迷悟を殺した犯人でない、間違った人物を殺してしまった場合は、その人物を殺したクロをみなサマで推理していただき、処刑します。」


「ただいまのみなサマの推理はハズレでございます。蛇腹サマは犯人ではございませんでした〜。」

「じ、じゃあなんで殺したんだよ…?」

「ですから、チュートリアルでございます。見せしめといったところです。百聞は一見にしかずですから〜」


話に着いていけなかった。きっと、ほとんどの人がそうだ。

呆然とするオーディエンスを前にRnは恭しいお辞儀をすると、アタッシュケースから取り出した10丁の拳銃を一人一人に配る。最後、余った蛇腹のぶんを傍のテーブルに無造作に置いた。


___明白な事実ほど誤解を招きやすいものはないよ

明らかに犯人だと思われていた蛇腹は、犯人ではなかった。オレたちはまんまと真犯人に嵌められたということだ。これから、こんなことを繰り返して行かねばならないのだろうか?


「それではみなサマ、推理をお楽しみください。勘解由小路サマの魂が、救われますよう」

0:未来へのテーゼ