最終章

どんな人間とも分かり合えるって、本気で思いますか?


相手の気持ちになって考えてみましょう。人と人は、必ず分かり合えるのです。


葵連夜はずーーっと、それを信じ続けている。


____


「どこへ行きましょうか!ここはもう、なんの邪魔も入ることのない、ぼくとアナタだけの舞台です…!」

彼はそう言って幸せそうに、すがすがしさすら感じるほどの笑顔で言った。その顔が真新しい血でてらてらしていなかったのなら、それはさながらありふれた恋愛映画のワンシーン。しかし確かに今彼が奪ったのは若い男の未来である。


『…ッねえ!どうして、オレなんだ!?オレ、何にもわからないのに。犯人も、‘’偉大なる財‘’も、真実も…オレにはわからないよ』

葵が禍恋の腕をひき、立ち止まる。禍恋はこちらを優しく見下ろし、やがて視線を合わせるようにして腰をかがめた。頬にひやりとして細長い指が触れる。


「アナタならきっとできますよ…♡誰の気持ちだってわかる優しいアナタなら、きっと…。今はまだ、みてみぬふりなだけ。深く息を吸って、アナタの奥深くで ‘’あの人‘’と話しましょう。」

禍恋は大切そうに偉大なる探偵の形見とも言えるメガネを取り出すと、二度三度優しくハンカチで撫でて埃を落とした。

そうしてそれを葵のあどけない顔の前へ持ってくると、それを鼻へかけて微笑む。


「さあ、アナタの次の役は」


‘’勘解由小路迷悟‘’です。


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ぱち


葵連夜はいつもの暗闇で目を覚ます。ここは果てしなく暗く、どこまでも続く深淵である。それでいて、恐怖は感じなかった。暗闇は、葵を包み込むような柔らかなかげをたたえて、母の腕の中のように暖かく、彼を包むのである。世界の真ん中にあるのは二脚の椅子である。片方の椅子には、オレ。もう片方には、あの人である。

偉大なる探偵はその正面に、どこか高慢ですらある粗雑な座り方をして深く腰掛けている。目が合う。その夕焼け色の中に笑顔はない。


月が見せてくれるのは、いつだって片方の面だけである。穏やかで聡明な探偵の奥にある炎のような憎しみと怒りの色を、葵はその時初めて見たのだ。いや、そうではない。今までもきっとオレは‘’見‘’ていた。それを今初めて認識したに過ぎないのであって、その夕焼けの奥にはいつだって炎はゆらめいていたのだ。



あなたはなぜコロシアイをしたのですか?

そう問うと、偉大なる探偵はふんと鼻を鳴らすようにして見下すように言った。

「本当はそういうのも含めて、お前らが考えるべきなんだがねえ!まあいいだろう、馬鹿には難しすぎるようだから、俺が教えてあげようじゃないか。これはいわば未来へのテーゼ。俺に付きまとって離れない呪縛をどうにかして取るには、これが最善策だった。探偵に囲まれ、謎を残し、探偵として死ぬ。世間さまが俺に求めてたのはそういうミステリ小説みたいな最期なんだぜ。皮肉にもなあ。死んでもなお探偵である俺が哀れだよ、我ながらねえ」


あなたは探偵が嫌いなのですか?

「ああそうだとも!お前みたいな探偵ごっこのクソガキには分からんだろうがなあ、俺はこの称号に人生を乗っ取られたも同然なんだ。ただ見返してやりたかっただけなのに、気がつけば青春時代は灰色どころか緋色に染まり切っているし、大きすぎる期待だけが後についてくる。奴らのみているのが俺ではなく、‘’偉大なる探偵‘’であることは明白だった。俺は自分のままでありたいだけだったんだがねえ、ばかな世間さまにそれがわかるわけがなかったよ」


「いやしかし、皮肉なものだなあ。___辿り着くのが、‘’お前‘’とは。結局、俺は呪縛から逃れられない運命だって?___まあ、どの道を辿っても、ここに行き着くのだという気はしていたけれどね」


彼はため息をついて立ち上がった。コートを脱ぐと、それをばさりとこちらへ投げてよこす。

『待って!__教えてくれ!‘’偉大なる財‘’って、なんだ?!』

「すぐにわかる。それじゃあ、また会おう」


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さあさあみなさま、お待たせいたいました。

今からご覧に入れますは、偉大なる探偵の最後の推理ショー!この物語もいよいよ終わり。とくとご覧あれ。

今宵‘’偉大なる探偵・勘解由小路迷悟‘’を演じますは、青き村人B。

それではみなさまお楽しみください、


再演。


「お帰りなさい、連夜くん__いえ、」


勘解由小路迷悟さん。


再び目を開けたとき、そこにうつっていたのは夕焼け。あどけない背丈、幼い顔立ち、括った紺の髪、頬の絆創膏、その全ては‘’葵連夜‘’のものであったのだが、それはすでに過去である。あの偉大なる探偵とは似ても似つかないようなそれらですら、今や‘’勘解由小路迷悟‘’のものである。少年の内側から這い出るようにして現れた勘解由小路迷悟に、すっかり染まっていたのだ。


うっそりと崇拝をはらんだ禍恋の視線を振り払うようにして、‘’勘解由小路‘’は歩きだす。禍恋がその後ろを忠実な犬のようについてまわる。

「ねえ勘解由小路さん…!お久しぶり、ですね、えへへ…ぼく、よくがんばりました、アナタのために…♡」

『うるさい。自惚れんな、お前を協力者に選んだのは動かしやすいから、それだけだ。』

「うう…それでも嬉しいです…♡」


一瞥くれてやることもなく、‘’勘解由小路‘’は歩き続けた。その彼の向かう部屋というのが、死体の置いてある部屋__幸いこの船には地下にそれにふさわしい部屋があった__である。

部屋は涼しく、死体は腐らないようにされていたものの、やはり死臭がこびりついている。これまでに死んだ探偵たちの死体がざっと並べられているが、その中でも一際丁寧に処理され、椅子にぐったりしているのが勘解由小路迷悟の死体である。


すっかり死人の色になった肌。心の臓に突き刺さったナイフのところからかつて流れ出た血は、今やすっかり固まり切って黒いしみになっている。

『俺もお前も、真相を知っているのにおかしな話だが。今から答え合わせといこう』

ふんと鼻をならし、‘’勘解由小路‘’はポケットからハンカチを取り出した。彼は指紋をつけないようそれで包みながらナイフを抜くと、床にハンカチをひいて優しくそれを置いた。


『‘’人生という無色のかせ糸のなかに、殺人という緋色の糸が一本混じっている。我々の仕事は、その糸をときほぐし、緋色の糸を引き抜いて、糸の端から端まですっかり白日のもとにさらすことなんだ。‘’シャーロック・ホームズはこんな言葉を言ったそうだな。しかしその糸を緋色に染め上げたのが、他者であるとは限らない。』

誰に語るでもなく‘’勘解由小路‘’は独り言をこぼす。そしてそれを言い終えると、禍恋にあるものを持って来るように命じた。それはアルミパウダー、その他いくつか__主に簡易的な指紋検出に用いられるものである。全てが揃っているわけではなかったから、中には代用品も含まれていたけれども、‘’指紋の向き‘’を調べるためには十二分なものだった。誰の指紋か、はこの際どうでもいいのだ。


『一見難解に見える事件ほど、紐解いてみれば笑えるほど簡単な真相を持ち合わせてるってもんだ。全くばかだ、奴らは真相に劇的な何かを求めすぎだ。一番近くにあるこの答えに__この殺人の意味に、初めからあいつらが気づいていたのなら、ここに立っているのは‘’俺‘’以外の10人全員だったろう。だって__』

そのナイフのえに粉の浮かぶのを見届けると、‘’勘解由小路‘’は勝ち誇った顔をしてそれを掲げた。


勘解由小路迷悟は自殺だったのだから。



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🔎勘解由小路殺しの真相


勘解由小路迷悟は初めからこの舞台で自殺する計画を立てていた。‘’最上の謎‘’とは彼の死の真相である。

1日目の晩、蛇腹と言い合いになったのは予期しないことではあったが、逆に好都合とも言えた。‘’誤解へ導くための明白な事実‘’を手に入れたのだから。

そして2日目になって、計画は実行された。4時にはすでに勘解由小路はホールへおり、自殺していた。彼の目的はあくまでふさわしいものに真相を暴かせ、その‘’偉大なる財‘‘という名の呪縛を渡すことであった。だから、ヒントとして彼はわざわざ手袋をとって、指紋が残るようにしていたのだ。


その後、後処理を任されていた禍恋がホールへやってきて、他殺に見えるように偽装工作を手筈通りに行った。4時ごろに葵たちがインターホン越しにした会話は録音であり、その時‘’忘れ物を取りに行く‘’と席を外した禍恋が、ホールから端末をいじって流したものである。蛇腹を犯人に仕立て上げるためには、‘’見かけの殺害時刻‘’に‘’全員にアリバイを作っておく‘’必要があった。そのため、見かけの殺害時刻である4時から死体発見までの間、協力者であるRnと禍恋に他の全員を誘導させた。


たったこれだけの簡単なものが、あの忌々しい死の真相である。


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「…おめでとうございます、連夜くん___いえ勘解由小路さん。正解です。やっぱりアナタのものなんです、‘’偉大なる財‘’は」

『ああ、皮肉にも』

‘’勘解由小路‘’が苦虫を噛み潰したように顔をしかめていった。禍恋がふふと笑って‘’勘解由小路‘’の手を取った。


偉大なる財とは何か?マザリンの宝石?莫大な遺産?あるだろう、そんなものより最大の栄誉にして最低な呪縛がここに。そうこの殺戮は未来へのテーゼ 勘解由小路迷悟の遺したものとは、未来をつなぐとともにお前を殺す大きすぎるそれ。


「アナタが次の‘’超高校級の探偵‘’です」


"偉大なる財"。それはその称号である。


さあいきましょうか、勘解由小路さん。次の謎がアナタをお待ちですよ


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__数日後。

あの長い長い航海の日々は、カレンダーに印をつけたなら一週間にも満たない短い旅だった。マザリン号で起きた残酷な殺戮が世間に知れ渡るのに、たいした日にちはかからなかった。じっさい、たった2人の生還者が救出船にのり港についた時、そこは野次馬であふれかえっていた。


降りてきた1人は、夕焼け色の聡明な瞳に眼鏡をかけた、だぼだぼの外套の幼い少年__偉大なる探偵その人である。もう1人は首輪を少年に握られ、あやしげな微笑を浮かべる背の高い男だった。彼はのちに、偉大なる探偵の相棒となり崇められる偉人の1人となるだろう。


彼らはマザリン号の惨劇を多くは語らなかった。それでも世間が火を仰ぐのには十分だったので、瞬く間にその冒険譚は脚色して語られたし、教科書にすら載るようなものになった。彼らの語る真相が、本当に正しいのか。それを知る人は今やこの世に2人きりである。なぜならあのマザリン号は沈み、惨劇を語る死体は海の藻屑となるだろうから。


‘’勘解由小路迷悟‘‘は、今日も明日も探偵である。彼の構えた事務所で、安楽椅子に深く腰をかけて揺られながら、そばにいる相棒にお茶を組ませている。その向かいの椅子にきみが座るのを待ちながら、ね。



舞台はこれで終わり。物語は続いて行く。しかし彼らの行く末は、あなたの推理に任せましょう。

今宵はお楽しみいただけましたか、

終演。

最終章:歪んだ愛のエンドロール